殺人ねらった暴力団のテロ

室内にひきこみ殴打
ひん死の任さんを窓から運び出す

 重傷者のうち、任政光さん(中華書店工作員)の暴行をうけた事情が判明した。

 任さんは、二日午後四時ごろの武装した暴力団の襲撃を受けたさい、これを阻止するため先頭にたち、暴力団によってニセ「日中友好協会」事務所内に引きづりこまれ、室内でめったうちにあったもようで、頭蓋骨陥没、頭部打撲など瀕死の状態で、救急車により午後四時半ごろ神保病院にかつぎこまれた。

 任さんは、犯人たちの手で窓からハシゴを渡して運び出されており、三日夜現在、血を吐きつづけ、血尿、意識不明をつづけており、生命があやぶまれている。

 頭部の症状は、激しく棒状のもので殴打され、脳が陥没しており、別記の近野さんと同じく最悪の状態にある。

 反中国暴力団の殺人を意図したこの狂悪な行為と、証拠隠滅をはかり、ひそかにはこびだした卑劣きわまる非人道的行為を知った人びとは、激怒の極に達している。

手術後も意識不明
いぜん危篤の近野さん

 日中友好協会(正統)本部会員の近野省三さんは、二日午後四時ごろの武装暴力団の棍棒による殴打をうけ、頭部陥没の重態。意識不明のまま慶応病院に入院。三時間半にわたり手術をうけたが、直径10センチの頭蓋骨陥没という重傷のため二日夜現在いぜん意識不明の危篤状態をつづけている。


殺人ねらった日共暴力団のテロ

ほとんどが後頭部裂傷
近野、任両君いぜん重態

 重傷を負った中国人青年学生、支援の日本青年およびその家族は怒りにもえて「日共」反中国暴力団のテロ行為を激しく糾弾している。

 ▽任政光君(頭蓋骨骨折・全身打撲)は、六日現在いぜんとして重態。任君は頭をこん棒で殴られたあと、ニセ「日中友好協会」事務所に引きずりこまれ、殴るけるの暴行をうけ意識不明になり、窓から外へはこびだされたもの。

 長崎から上京して看病にあたっている任君のお母さんは、面会謝絶の任君にかわって「まったく卑劣な連中で腹がにえくりかえります」と語り、妹の信子さんは「『赤旗』をみると、殺されそうになった兄のほうが暴力をふるったことになっているのでア然としました。くるしんでいる兄の顔をそばでみていると、くやしくてなにもいえません」と語っている。

 ▽近野省三君(後頭部頭蓋骨陥没)は、四日に三時間半もかかる大手術をうけたが、脳の中に直径五センチの血の固りがあり、右眼は半失明状態、右耳は完全に聞こえなくなり、生命をとりとめても不治の後遺症がのこるのではないかとみられている。福島からかけつけてきたお母さんは次のように語っている。「なぜ息子が共産党に殴られなければならないんです。警察の目の前でこんなひどい目にあいながら、犯人を検挙しないなんて、いったい警察はなにをしているんでしょうか。早く犯人をつかまえてください」

 ▽岸良鉄石君(頭部裂傷)は、頭を二カ所わられ、合計十針縫った。岸良君は「白色テロとはこんなものかと身をもって感じた」と当時のもようをつぎのように語っている。「やつらはヘルメットをかぶり、大きな角材をもち、おどろいたことには長い鉄棒をもったものまでいた。わたしはめった打ちにされたあと、野球のバットでうしろから二回殴りつけられた。意識がもうろうとしてきた。力いっぱい歌をうたって精神をふるいたたせた。そのあと、華僑総会の人がかつぎあげてくれた」

 ▽劉道昌君(後頭部裂傷、右腹部打撲)は、頭を棍棒で強打され、右腹部をけりあげられて倒れ、六時間も意識不明になったが、仲間の闘いにはげまされて回復にむかっている。テロを黙認していた警察は、こんどは病院におしかけ調書をとると四十分もねばり、劉君が「事実ははっきりしている。早く暴力団を逮捕せよ。正統本部の新聞“日本と中国”をみただけでも、だれが加害者で、だれが被害者であるか一目瞭然ではないか」というと「それは日本にはあてはまらない。日本の制度に従えないのなら、むこう(中国のこと)に帰ってもらおう」などと暴言をはいた。

 ▽日本人学生(後頭部裂傷)=特に名を秘す=は、骨髄にたっする裂傷で七針縫ったが、当時の模様を「バリケードがくずれてヘルメットをかぶった暴力団があらわれた。そのとき警官一人が入ってきて「両方ともやめろ!君らはむこうに帰れ!静かにしろ!」といったので、ぼくらはだまってさがった。ところが暴力団はこちらにすすんできた。警官は「部隊を入れる」といってさっと退いた。素手のぼくらはスクラムを組んだ。そこをやられたのだ。ぼくは廊下の左寄りにいた。二列目ぐらいだと思うが、スクラムがくずれ棍棒で殴られ、あとは無我夢中でわからない」と語っている。

(日本と中国1967年3月13日第1面)

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