この文献は、宮森繁著「実録中国『文革』礼賛者たちの節操」(1986)という書物の150ページから154ページまでの一節です。善隣会館の流血事件から19年後にかかれたこの本の中では、善隣会館事件は多くの事件の中の一つとして簡単に取り上げられているに過ぎず、事実関係について理解の明らかな誤りもあります。たとえば、さらに挑発ビラのなかには「中国人入るべからず 日中友好協会」というものがあり、これを配布しようとした者を日中友好協会事務局員がとらえたところ…という記述がありますが、1967年当時の資料によれば、この文言の文書はビラとして配られたのではなく、張り出されたことになっています。一次資料ではなく、日本共産党または日本共産党系の人びとが、後にこの事件をどのように語り継いでいったかを示す文書とみるべきでしょう。

 しかし、この文書で興味深いのは、1967年5月4日の赤旗紙に掲載された『井上清の中傷に答える』という記事を読んだ林健太郎氏が、これをもって攻撃者は「中共側」であることは間違いないようであると書いたというエピソードをあげている点です。

2000年8月31日 猛獣文士


日中友好協会本部襲撃事件

 宮崎世民の『回想録』にもある「善隣学生会館事件」というのも「文化大革命」と干渉、それへの盲従を背景とした集団的暴力事件であった。事の次第をごく簡単にふれよう。野球場で有名な後楽園のすぐそばに「善隣学生会館」という財団法人組織の建物がある。この中に在日華僑の学生・家族や日中関係団体、日中友好協会本部があった。

「脱走派」の組織が蠢動していらい、日中友好協会は、「毛沢東思想を指導思想」とせず、「文化大革命」を支持しない「反中国」の「非友好」団体とされ、「ニセ日中はとっとと会館を出て行け!」「ただちに会館から立ち去るよう瞥告する!」という壁新間が、日中友好協会入口正面に連日貼り出されるようになった。華僑学生からは、「人民の敵」「セ日中」「修正主義の犬の頭を叩き割れ」「ドロボウ」という挑発ビラもまかれた。さらに挑発ビラのなかには、「中国人入るべからず 日中友好協会」というものがあり、これを配布しようとした者を日中友好協会事務員がとらえたところ、かれら自身の作製したものであることがわかった。謀略策動までして、日本共産党を攻撃し、其の日中友好運勅を破壊しようとした動きである。さらにこの「事件」のなかで、「日共修正主義」や日中友好協会が、中国人を「チャンコロ」といって侮蔑したなどという架空の「事件」をデッチあげ、「西沢隆二一派」の『毛沢東思想研究』や、岡田春夫、中島健蔵、井上清らの盲従分子が反共キャンぺーンを行なった。卑劣というほかないやり方である。

日中友好協会を襲撃する華僑学生、盲従分子ら

 一九六七年に入って、事件はついに暴力行為にまで発展し、「脱走派」「造反団」、華僑学生からトロツキスト「M・L派」などが加わり、九ヵ月間にわたる日中友好協会本部事務所への襲撃・暴行事件がくりかえされた。この回数六九回、重軽傷者の被害をうけた民主勢力側は一八〇名にものぼった。

 これについて、かれらはただ「白を黒」と言いくるめるデマ宣伝をくりかえした。

 日本共産党とその機関紙「赤旗」は、こうした不当な非難と暴力行為にたいして当然の反撃を加え、井上清らの反共キャンぺーンを批判した。いまは自民党の参議院議員になっているが、当時、東京大学教授(後、東大総長)であった歴史学者の林健人郎氏できえ、両者の主張を検討したうえで"歴史学者の目"と題してつぎのようにのべ、「中共側が攻撃者であったことはまちがいないようである」と書いている。

「私は近ごろ『赤旗』という新聞をよく見るようになったが、その五月四日号文化欄に載った「井上清の中傷に答える」という文章を私は特別の関心をもって続んだ。筆者は山下文男、吉原次郎の両氏で、一べージのほとんど全部をあげて左翼歴史家の井上清氏をやっつけているのである。

 事の起こりは例の善隣学生会館円の暴行事件で、その後井上氏は中共側の発表に基づいて日本共産党を盛んに攻撃しているが、それに対する反論がこの文章の内容である。

 そもそもこの事件はどちらの側が暴行を起こしたのか、両者の言うことは全く正反対である。私は両派の印刷物を共にもらって比較検討してみたが、少なくとも一階の日中友好協会事務所前の乱闘事件については、中共側が攻撃者であったことはまちがいないようである。そして日共側はともかく事実をしらべてくれという態度をとっているのに対し、中共側はただ対手を『殺人鬼』とか『中国人を半殺しにした』とかいう悪罵を投げつけるだけである。井上氏もそれをそのまま、鵜のみにしており、その上日共が法務省入国管理局と通謀しているとか右翼のごろつきを使っているとかいう非難を加えている。それに対しそれは事実無根だ、証拠を出せと山下氏は言っている。『井上氏は客観的な態度も、また事実を尊重する態度も、なにもかも失っている』『こういう態度は歴史学者井上氏としていったいどういうことなのか』」となかなか手きびしい(「読売新聞」一九六七年五月十五日付「東風西風」)

以上のように、@事件は其の日中友好協会本部の入口で起きていること、A暴力集団は棍棒や鉄パイプで戸口を破壊して乱入しようとした(協会側は机などでバリケードをつくり辛うじてこれを防いだ。このため便所にも行けなくて困ったことなど)、Bなによりも多数の負傷者が出たのは日中友好協会側であった。これらをみるとかれらの言い分こそが全くの逆宣伝であることがよくわかる。

 不当・不法なかれらの暴力行為は世論の支持もうけず、国民を説得するところともならなかった。こうして、民主勢力の大反撃を受けるとともに“不思議”なことには、中国の「文化大革命」の退潮とあわせ、この暴力と策動は潮のひくように後退するところとなった。事件が覇権主義的干渉と「文化大革命」を正当とした理不尽きわまるものであったことを証明している。

実録中国「文革」礼賛者たちの節操より(150-154ページ)
宮森繁
[先頭][Home][日本共産党側資料目次]

東風西風(林健太郎氏のコラム)の全文

歴史学者の目

 私は近ごろ『赤旗』という新聞をよく見るようになったが、その五月四日号文化欄に載った「井上清の中傷に答える」という文章を私は特別の関心をもって続んだ。筆者は山下文男、吉原次郎の両氏で、一べージのほとんど全部をあげて左翼歴史家の井上清氏をやっつけているのである。

 事の起こりは例の善隣学生会館内の暴行事件で、その後井上氏は中共側の発表に基づいて日本共産党を盛んに攻撃しているが、それに対する反論がこの文章の内容である。

 そもそもこの事件はどちらの側が暴行を起こしたのか、両者の言うことは全く正反対である。私は両派の印刷物を共にもらって比較検討してみたが、少なくとも一階の日中友好協会事務所前の乱闘事件については、中共側が攻撃者であったことはまちがいないようである。そして日共側はともかく事実をしらべてくれという態度をとっているのに対し、中共側はただ対手を『殺人鬼』とか『中国人を半殺しにした』とかいう悪罵を投げつけるだけである。井上氏もそれをそのまま、鵜のみにしており、その上日共が法務省入国管理局と通謀しているとか右翼のごろつきを使っているとかいう非難を加えている。それに対しそれは事実無根だ、証拠を出せと山下氏は言っている。『井上氏は客観的な態度も、また事実を尊重する態度も、なにもかも失っている』『こういう態度は歴史学者井上氏としていったいどういうことなのか』」となかなか手きびしい

 井上清氏は大学における私の一年後輩で昔の友人であるが、戦後共産党員になってから私はたびたび彼からひどく攻撃された。その井上氏が今や共産党からこういう非難を受けている。私は別段個人的な動機からそれを快とするようなつもりはないが、時勢の変化のはげしさにはやはり無量の感慨なきを得ないものである。それにしても事実を重んずるのが歴史家のとるべき態度だというのは正しい。願わくは日本共産党があらゆる問題について常にこの心がけを失わざらんことを。

林 健太郎(はやしけんたろう)

(「読売新聞」一九六七年五月十五日付「東風西風」)

[先頭][Home][日本共産党側資料目次]